脚本家の山田太一さんは、「それぞれの秋」「岸辺のアルバム」や「早春スケッチブック」「ふぞろいの林檎たち」など名作ドラマで知られています。
残念ながら、今年11/29に老衰のため逝去されました。享年89歳でした。
この記事では、脚本家山田太一さんが、どんな家族とすごしていたのか、プライベートで過ごしてきた妻や子ども達についてお届けします。
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山田太一プロフィール
活動名:山田太一
本名:石坂太一
誕生日:1934年6月6日(享年89歳)
出身:東京都台東区(かつての東京市浅草区)
主な作品:
受賞歴:芸術選奨文部大臣賞/第2回向田邦子賞/第33回菊池寛賞/第1回山本周五郎賞/第14回日本アカデミー賞最優秀脚本賞
山田太一さんの脚本家としてのキャリアは、松竹での助監督からスタートしました。
松竹の木下惠介監督のもとで学び、1965年に退社・フリーの脚本家としてデビューされています。
木下監督のこと、退社後も敬愛していたそうだよ!
木下監督から好きに書いていいよ!と言われて発表した「それぞれの秋」(1973年)では、芸術選奨新人賞を受賞しています。
ホームドラマでありがちだった「家庭は温かく明るい」というステレオタイプを壊し、一見平凡に見える家庭でも秘密を隠したり我慢したりしていて、現実はおめでたいものじゃなく厳しさもあると描いてヒットしました。
その後も、「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「早春スケッチブック」「ふぞろいの林檎たち」など、数々の人気作を生み出しています。
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山田太一の家族構成
山田太一さんの家族構成は、妻と子ども3人です。
妻:石坂和子
長女:宮本理江子
次女:元TBS社員
長男:石坂拓郎
【昭和の食卓】山田太一(脚本家)昭和53年
— 萬象アカネ (@bansho_akane) May 23, 2020
川崎市の自宅にて左から夫人、長男、本人、長女、次女。わが家の夕食は毎日大騒ぎである。やれ姿勢を正せ、こぼすな、しゃべってばかりいるな、何かが倒れた、布巾だ雑巾だ──食べ終わる頃には大抵、がっくりと疲れている。(談)@retoro_mode pic.twitter.com/rOreoyIhUx
妻:石坂和子
山田太一さんの妻は、石坂和子さんです。
和子さんは、テレビ朝日のアナウンサーでした。
2人の出会いは、早稲田大学の同級生として。
山田太一さんは、早稲田大学教育学部国語国文学科に入学しているので、妻・和子さんも同じ学部だったと考えられます。
結婚したのは、在学中ではなく和子さんがアナウンサーとして就職した後です。
寺山修司から好意を抱かれていた
劇作家の寺山修司さんとも同級生で、寺山さんから好意を抱かれていたそうです。
大学入学時の寺山さん、ハンサムですよね!
こんなハンサムに思いを寄せられるなんて、和子さんも素敵な女性だったんでしょうね!
妻・和子さんの顔画像を探しましたが、残念ながらありませんでした。
実は寺山修司さんの気持ちに、和子さんも気づいていたと考えられます!
寺山さんと山田さん、和子さんの関係は、後ほど紹介します。
山田太一さんと結婚後は、脚本家として多忙を極める夫を支えてこられました。
山田さんは2017年に脳出血で倒れるまで「病気知らずで、風邪もほとんどひいたことがなかった」そうなので、きっと妻・和子さんは健康に良い適切な手料理を作ってこられたのではないでしょうか。
子ども達が巣立ったあとは、2人で神奈川県川崎市の閑静な住宅街にお住まいだったようです。
長女:宮本理江子
山田太一さんの長女は、宮本理江子さんです。
元フジテレビ編成制作局ドラマ制作センターゼネラルプロデューサーで、名監督としても有名です。
2020年に早期退職制度を利用し、フジテレビを退社されています。
出身大学は国際基督教大学(ICU)。
1986年に卒業されているので、2023年現在58~59歳でしょう。
卒業後に入社したフジテレビでは、数々の名作ドラマに携われました。
1991年の大ヒットドラマ「101回目のプロポーズ」の武田鉄矢さんがトラックの前に飛び込んで「僕は死にません!」と叫んだシーンを演出されたんですよ!
他にも「ビーチボーイズ」「風のガーデン」「それでも、生きてゆく」「最高の離婚」「最後から二番目の恋」など、超有名作の演出をされています。
35歳でオブジェ制作をするアーティストの男性と結婚しています。
山田太一さんの晩年も、妹と協力して支えていたと言われています。
次女:元TBS社員の一般人
次女は、元TBS社員の一般人です。
優しい性格ですが、心のある女性だそうですよ。
入社は1990年で、渡辺真理アナウンサーと同期入社です。
ちなみに渡辺真理アナも姉・宮本理江子さんと同じ国際基督教大学を卒業しています。
入社時期から考えると、現在の年齢は54~55歳で、姉と約4歳差です。
長男:石坂拓郎
長男は、撮影監督の石坂 拓郎さん。
1974年8月17日生まれ、現在49歳です。
高校時代にアメリカへ渡り、大学時代に写真に熱中したことで、カリフォルニア州チャップマン・ユニバーシティ・フィルムスクール映画製作学科へ編入・卒業されています。
2006年にFrameworks Films, Incを起ち上げ、現在はアメリカロサンゼルス在住です。
「世界の中心で、愛をさけぶ」でフォーカスマンを担当(カメラマンの助手)されています。他にも、映画「さくらん」「るろうに剣心」「ホノカアボーイ」等の作品にも参加されていています。
寺山修司と山田太一と妻・石坂和子の関係
寺山修司さんと山田太一さんは、在学中から親交が深かったそうです。
寺山さんがネフローゼ症候群で休学・長期入院したときは、頻繁にお見舞いにも行かれていたそうです。
寺山さんのお母さんからお見舞いを控えるように言われた後も、手紙のやり取りを続けるほどの仲でした。
仲の良さは女性の好みにも現れていて、在学中に寺山さんが好きになった女性を山田さんも好きになってしまったことがあるそうです。
「初めは違う人を好きになるんですけど、友達って、仲よくなると、相手が好きな人がよく見えてくるんです。向こうもそうで、もう交換しようかって。だけど交換できるほど相手にしてもらえてないから、そう決めても何の進展もない(笑い)」
https://www.news-postseven.com/archives/20151211_369996.html/2
同じ人好きになってしまったことを寺山さんも分かっていたなんて、驚きですよね!
「交換しようか」とは、山田さんと寺山さんがそれぞれ付き合ってた相手を交換するってことなんでしょうか・・・?
交換できるほど相手にしてもらえなかったということから、ひょっとしてこの交換相手というのが妻の和子さんだったんでしょうか・・・?
真相は不明ですが、複雑な四角関係にあった可能性も考えられますね。
「友達の好きな人はわかる」と言っていることから、親友の寺山さんが妻・和子さんに思いを寄せていたことは山田さんも気づいていたんでしょう。
そんな女性関係で2人の友情は壊れることはなく、卒業後も仕事を一緒に取り組んでいます。
映画『夕陽に赤い俺の顔』『わが恋の旅路』で、脚本を寺山さん・助監督を山田さんが担当されていました。
山田太一実家の家族構成
山田太一さんの実家の家族構成をまとめました。
父:愛知県出身・浅草六区で大衆食堂を経営
母:栃木県真岡市出身・浅草六区で大衆食堂を経営
2人の兄:戦時中に肺結核で早世
10歳年上の姉
妹
父・母
山田太一さんの両親は、当時賑わっていた「浅草国際劇場前」で大衆食堂を経営されていました。
父は愛知県出身、母は栃木県真岡市出身です。
お店は繁盛していましたが、戦時中に火事延焼を防ぐ計画のため、1944年に立ち退きを余儀なくされ店をたたんでいます。
強制疎開で家族で神奈川県湯河原町へ移り住んだ1年後に、母親が疲労のため亡くなっています。
2人の兄
山田太一さんの2人の兄は、戦時中に肺結核で早世されているそうです。
10歳年上の姉
山田太一さんの10歳上の姉は、母親の亡き後、家族のために母代わりとなりました。
料理を担当していましたが、なかなか大変だったそうです。
それまでは、経営していた食堂のメニューが家族の食事で、姉は一から料理を作ったことがなかったそうです。
現在ご存命なら99歳です。
妹
山田太一さんには妹がいらっしゃいますが、詳細は分かっていません。
現在の年齢は88歳以下で、お元気でいらっしゃるかもしれませんね。